2005年2月に店を閉めて6年半
やっと普通に頑張れるようになれた
いわゆる立ち直ったということか
小学生や中学生のように普通に自然に健全に「頑張ろう」と思える。
誰かのためにでもなく、何かのためにでもなく
「お腹が空いたからご飯を食べよう」という感じで
当たり前の事のように自然な流れで「頑張ろうと」と思う。
そして、それについて気持ちと見合ったくらいの固い気力もついている。
でも、すぐに壊れそうで、大切に守っていきたい。
最初はお決まりの自殺まで考えた。
私が自殺なんて全然ガラでもない、というものなのだが、その時は毎日の生活を送るのが嫌でしょうがない
毎日の暮らしが嫌でしようがない。と言う訳だから死ぬというのは当たり前の普通の事のように選択肢の中にあった。
おまけに莫大な借金が残り、普通に返していったら100年以上かかるというもので、生きていても借金返済のために苦しみぬいて死ぬというシナリオで。
その上、妻や家族が自分のふがいなさ、無能をこき下ろし、ぼろ雑巾のようになっていた私をつぶそうとした。(これは今でもそうで、子供が来ると説教し、私がいかにダメかを畳み掛けてくる。私の仕事の失敗の第一の原因は家族の浪費なのだが)
そしてとどめは私の母と実家だ。何でも言うことを聞くから、白紙委任状を出すから助けてくれと言ったが断られ、「お前の話は聞かない」と言われ。
実の母親に「俺を捨てるのか」と言うと「あんたが家を守ると言うたやんか、あれはどうなった」と切り返され、後は無言で顔を背けられた。
誰でも自殺を考えるというものだ。
ところで私には小学生ころから死のイメージがあって、怖いながら不可思議ながら何かあるごとに自分から覗き込んでいたイメージで、死というものも私には別に敷居はなかった。
それに我が家は早死にの家系で65歳以上生きているのは数えるくらい皆60前後までに死んでいる。あまり老後を考える習慣がない。
そんなわけで、どうせもうすぐ死ぬなら、若いときに怖くて出来なかった事をして死のうと思った。
というか、毎日の暮らしが嫌になったら、そう言う事でしか生きられないのかもしれない。
それからは生きる理由、生きる力、生きる支えみたいなものを探すために生きることになった。
それでも、情けない、恥ずかしい姿をさらして銀行に行った者、その弱り切ったものを容赦なく叩く家族や周囲を知った者は心や神経が瀕死の状態で、
そんな中でオドオド、ビクビクしながら各方面に出向いて事業の後始末をやって折れてしまっている自分の心を支えて最後の一滴まで使い果たしたものには、
そう簡単に生きるという事になじめない。
最初は一日中テレビを見て時間を過ごし、一日一日をきちんと過ごし時間の経過を実感し、一日一日を過去として生活を積み上げていくことから始めた。
それから、命のため、美のため、などといろいろ手探りして生きてきて、やっと今日を迎えたと言う訳だ。
ご飯を食べた。
お腹一杯になった。 さあ!頑張ろうって。
posted by kinaishoku at 03:41|
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